孤独を和らげ癒す そして孤独を楽しむ

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こころの相談室 メンタルケア フォレスト では
こころの悩みや問題を軽減し、
自らをよりよく変化させていくための
サポートをいたします。

また当ルームでは、通常の心理カウンセリングとともに
自分で自分のこころを調える方法(マインドフルネス)
について学んでいただくことにより
誰の中にもある自然治癒力を最大限に引き出すよう
援助しています。

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みなさん、こんにちは。
いつも私のブログを読んでくださってありがとうございます。

そして何かのご縁でこのブログに辿り着いた人がみえましたら
それもご縁です。
よろしかったらこのブログを通して
ご自分の心と触れ合うひとときをお過ごしくださればと思います。

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さていきなりですが
ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは、人間が独りでいる状態について
孤独(solitude)孤立(loneliness)孤絶(isolation)の3種類が
あると述べています。

前回の記事では
自分に自信がない(ありのままの自分が受け入れられない)
過度に承認欲求が強い
コミュニケーションに苦手意識がある

というようなことによって
意図せずとも自ら自分のことををひとりぼっちというイメージの中に
閉じ込めてしまうことになるとういうことについて書きましたが

それは言い換えると
本来の自分との繋がりが希薄であるために
孤立(lonerliness)している心の状態といえます。

また孤絶している心の状態とは、
たとえば仕事だけしか眼中にないため
家族や友人などと過ごす時間はほとんどない

ゆえに他者との繋がりが希薄になっている状況
にあるとういうことですが、
しかしそれも元を辿ると自分との繋がりが希薄だからです。

しかし孤独というのは自分というものを生きていく上で
誰もが感じる、いわば人として自然な感情です。
ですから孤独=望ましくない心の状態などと思う必要はない
ということをハンナは教えてくれていると思います。

またそうであるならば
孤独であるという状態を闇雲に恐れて、
それを感じなくてもすむようになんとかしようとするよりも
むしろそれは誰もが一生抱えていくものであると理解し、
受け入れてしまった方がいいのではないでしょうか。

なぜならそもそも自由と孤独は
いってみればコインの裏表のような関係にあるからです。

ですから
たとえば親元から離れて一人暮らしを始めたとか
あるいは
愛する人との別離や死別、また仕事や体の健康など
それまであった大切なものを失ってしまった
などというようなことになれば
もちろん誰しもひしひしと孤独を感じることになると思いますが

でもそれは言い換えると
孤独を癒やし和ませることができる、もう一人の自分を育む
チャンスの時でもあるのです。

またそういった自分を育むことなしに
自分らしく自由に生きることなどできないわけですから
いっそ逆に孤独を楽しもうという意識をもったほうがいいかもしれません。

かつての私も
孤独を感じている自分=惨めで情けないとう先入観があったために

人と触れ合うことのない一人だけの空白の時間や
あるいは人にわかってもらえない思いや感情がある時は

わざわざ人の集まる所へ出かけたり
あるいはネットを見過ぎたり、買い物をする etc…
などというようなことで孤独を紛らわそうとしていましたが

でも今から思うと
むしろそれによって余計に孤独感を
膨らませていたように思います。

ということは孤独であることを苦に思い
それを避けようとすればするほど逆に孤独強く感じるということです。

しかし時間と共に、
それは自分との繋がりが希薄である
ということに気づくことができるようになりました。

それゆえ今の私は孤独であるということに対して
ポジティブにもネガティブにもとらえていません。

単純に私という人間はこの世にたった一人しかいないわけですから
私が私らしく生きるということの中には孤独も含まれている
というふうに思っています。

でもだからこそ人は寂しい・・・

ゆえに私の場合は、
・他者との繋がりを大切にする

私の場合は週末のどちらか一日は家族とゆっくり過ごす
また友達と連絡を取り合ったり、
大体月に一度は会う時間を作るよう心がけています。

・人に期待するのはやめて
 自分一人でもできるプロジェクトリストを作る

私が住んでいる家は築100年経つ古民家です。
ですからリフォームしたいと思うところは沢山あります。
以前はそれは自分ではできないと思っていたので
息子にやってもらうことを期待していましたが
先方はなかなか思った通りに動いてくれません。

しかし私でもでもできるかもというところからやり始めていくうちに
以前よりも自分のことがたくましく感じられるようになり
また実際にできると、かなり自己満足することができます。

そしてそれは
私を助けてくれる人が誰もいないという思いから生じた孤独を和らげ、
また息子に期待しなくなった分、腹を立てることもなくなりました。

いずれにしても
自分でできるという感覚は、孤独を恐れ過ぎることを
防いでくれることに繋がると思います。

・趣味の時間を楽しむ

私の趣味は編み物、絵を描くこと、読書、映画鑑賞、写真、ウォーキング
ですが、今はまだ空白時間が足りなくて、編み物や絵を楽しむ時間はあまり
ないため、先の楽しみのとしてとってありますが

自分に合った趣味を見つけて、一人でそれを楽しむということは
孤独を敵としてではなく、友にすることだと思います。

ですから最終的には趣味を楽しむことができる人は強い
と私は思っています。

・ペットを飼うor植物を育てる

愛犬(LUCKY)との出会いは、オーストラリアに住んでいた頃ですが
その頃、とても孤独だった私を丸ごと受け入れ、癒やしてくれたのは
他ならぬ彼です。

孤独過ぎるとオキシトシンの分泌が低下すると言われていますが、
私の場合は犬と触れ合うことで、かなりそれが補われていると思います。

また心を安定した状態に保つには、セロトニンが必要だと言われていますが
これも彼のお陰で毎日外を歩き、お日様の光を浴びるているので
そう考えると私はずいぶん愛犬に助けられています。

でも動物を飼えないという環境にある人もいると思います。
そういった人の場合は、植物を育てるようにするといいと思います。

どちらもピュアなエネルギーを与えてくれますので
それによって本来どの人の中にもある無償の愛(最高にポジティブなエネルギー)
が引き出されます。
またそれは同時に自分の孤独を癒すことにもなります。

・自然に触れるひとときをもつようにする

これは先の項で申し上げましたように
私は犬のお陰で毎日、朝夕2回、トータルで1時間半から2時間は
自然の中を歩きます。

それによって感覚が優位となるため
思考が作り出した不自然な世界から抜け出し
体や心が自然界のリズムへと同化していきます。

すると自分の存在は自然(地球)の一部である
という感覚が甦ってきます。
またそれはありのまま自分としっかり繋がっている感覚
の土台ともいえます。

ですから自然の中に身を置き溶け込んでいくひとときをもつ
という習慣は、思っているアイディンティティを健全に保つ
ということにおいて大切だと感じています。

・瞑想を習慣にする

瞑想というのは、呼吸に意識を向けることによって
今という瞬間、自分の体や心に起こっていることを
観察するということをしますが、
これによってたくさんの気づきが得られるようになっていきます。

またそうすることで、頭がそう考えている ゆえにそう感じている
という心の仕組みがだんだんわかってきます。

すると頭が考えていることのほとんどは
今という瞬間から離れ、過去や未来を彷徨っている
ということもわかってきます。

また自分と繋がるためには
今という瞬間、ここにある体に心を戻す必要があります。

なぜなら本来の自分(自然体の自分)とは
体と心が調和している状態に在るからです。

しかしながら思考は
体や心の状態を無視することがよくあります。

それゆえ瞑想を習慣化することで
自然体の自分であること(体と心が調和している)を妨げる思考に気づき、
バランスを取り戻そうとするもう一人の自分(観察者)
と共に日々を過ごしていくようにしています。

それは言い換えると
自分の心の中に安全基地を培っていくということでもあります。

ですから私は、自分だけではなく
全てのクライアントさんにマインドフルネス瞑想の実践を
お勧めしています。

・孤独を卑下するのはやめて、孤独を楽しむ工夫をする

以前の私は孤独というものに対してネガティブな先入観があったため
必要以上に孤独を恐れ、ゆえに絶対に孤独にならないように

他者に対して依存的に関わったり
あるいは自分を認めてもらうことを頑張り過ぎたり
またおかしなことに孤独なのに、私は孤独なんかじゃない
というフリをしたり

などというようなことで
逆にありのままの自分との繋がりを希薄にしていたように思います。

しかし冒頭で申し上げたとおり、
生きるとは孤独な営み、ゆえに人は皆、孤独を避けることはできないのだ
ということがだんだん心のレベルで理解できるようになりました。

それゆえ今は
私は孤独ではないという心の状態を目指すのではなく

「なんとか私もまあまあ上手く孤独と付き合いながら生きてます」
という心の状態を保つことができたらいいと思うようになりました。

とはいうものの私の愛犬はすでに12歳。
それゆえいつかは別れの日がやって来るということを
毎日言い聞かせるようにはしていますが
でも実際逝ってしまったら
恐らく心にかなり大きな穴が開いてしまうのではないかと思います。

今日もたまたま、あまりの忙しさゆえ、心の余裕を失くし、
愛犬が逝ってしまったことによる喪失感や悲しみに蓋をしたまま
ずっと今日まで頑張ってこられた人と共にカウンセリングを育みましたが

その方はやっとそれまでのいろんな思いや感情を振り返り
それを言葉だけではなく、体全体で表現されました。

そしてこのようにコアな感情が溶け出した後は
それまでなんとなく希薄に感じられていた自分感というものが
ちゃんと感じられるようになっていくものです。

そんなプロセスを寄り添わせていただいたことにより
あらためて思ったことは
喪失による孤独感は深く、ゆえに辛苦が伴うものである
また癒されていくにもやはりそれなりの時間の経過が必要だったりする

でもだからといってその状態にある自分のことを
私は弱い人間であるとか、あるいは心が病んでいるのかも?
などと闇雲に決めつけたりする必要はないということです。

なぜならそれは愛の痛み、
ゆえに嘆き、悲しみ、孤独に打ちひしがれることは
むしろ人として正常であるということの証です。

ですからそういった感情を表現することは
核となる自分としっかり繋がることになり
強いてはそれが孤独を癒していくことになるのです。

実際にその方も、たくさん泣かれた後は
とてもスッキリとした表情で安堵感に包まれているようでした。

それゆえ私も
一人だけで孤独を抱えることが難しいと感じた時は
迷わず、信頼できる人のもとで
安心して感情を開放するということを選ぶつもりでいます。

いずれにしても
孤独の辛さや苦しみを理解できるのは人間だけですから
やはりそれは人と人が共に力を合わせて乗り越えていくことができるもの
と思っています。

ですから本音を言うと
孤独による不安や辛さを精神薬で抑えるという方法は
できることなら最後の選択にしたほうがいいというのが
私の考えです。

なぜならそれは辛くても自然な感情だからです。

また感情というのは十分に味わい尽くせば、
やがてその感情は鎮まり、消えていくという性質があります。

しかし薬(抗不安薬)は不安を感じにくくする目的のもの、
ですから決して不安を取り除いているわけではないのです。
それゆえ薬で封じ込められた感情は
薬が切れるとよりいっそう強く感じられたりすることがよくあります。

いずれにしてもその方法は
心を不自然な状態にするということです。

またそのように自然であることから遠のいていくことは
すなわち病に近づいていくということです。

そういう意味では、
今や地球そのものが病みつつあるといえますが
考えてみたら、人間が不自然になればなるほど
地球も壊れていくというのは道理です。

だからこそ人の心は、
また人によって治し癒すことができる
ということを今一度信じ直し、重きを置く必要がある
と私は思っています。

 

ラッキーの毛布巻き
寂しい時は暖かくして、お腹の中も温かいもので満たしてあげてね。(^^)