孤独を抱えて生きる

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みなさん、こんにちは。
いつも私のブログを読んでくださってありがとうございます。

そして何かのご縁でこのブログに辿り着いた人がみえましたら
それもご縁です。
よろしかったらこのブログを通して
ご自分の心と触れ合うひとときをお過ごしくださればと思います。

さて前回の記事では孤独ということについて少し触れましたが
あらためて孤独感とはどんなことをいうのかというと
孤立した感覚と人と心が触れ合えないことによる寂しい感情
が一つになったものと定義されています。

また人は誰でも突き詰めるとみな孤独な存在です。
ですから言ってみれば誰もが孤独を抱えて生きていかねばならない
そう考えると、いかに孤独とうまく付き合っていくかということは
全ての人に与えられた、人生の宿題かもしれませんね。

実際に長い人生を生きていく間には
孤独感に苛まされたり
あるいは孤独であることの不安に押し潰されそうになったり
ということもあるでしょう。

またそういった状態が長期に渡って続く場合は
生きる気力さえ失ってしまうということもあります。

それゆえまず今日の記事では
どんな心の状態にあると、孤独感を深めてしまうことになるか
ということについて書いてみようと思います。

その1 自分に自信がない(自分のことが嫌いor好きになれない)

このような心の状態にある人の多くは、
ありのままの自分では他者から愛されない
というスキーマ(無意識下にある思い込み)があったりします。

それゆえ
相手から嫌われるかもしれない
否定されるかもしれない
見捨てられるかもしれない
というように、不信感を前提に他者と関わっています。

たとえば
過度にいい人を頑張っていたり
あるいは完璧であろうとすることにこだわる

それゆえいつも心が緊張し
リラックスして相手と打ち解けることができなかったりします。

またこういった心の状態にある時は
一人でいるという物理的な孤独よりも、
比較的大勢の人の中にいるときの方が
自分の居場所が感じられにくかったりするために
孤立感や疎外感を感じやすいかもしれません。

また劣等感の問題を抱えていたりする場合も
やはり自信がない心の状態にあるといえますが

しかしながら
人に自信がないことを悟られることを怖れるために
逆にとても自信があるかのように振るまうことで
自分の心を守っているということがよくあります。

その場合は
人に対して高圧的で上から目線の態度で関わるとか
あるいはいかに自分がすごいかということを得意げに自慢する
などというように、
常に自分の立場を相手よりも上に置こうとする
というような関わり方をしがちです。

しかし相手からすれば、傲慢な人ということになりますので
直接的にその相手から否定されないとしても
いずれ必ず相手は心の距離を取るようになっていきます。

ですからこういった人の場合、
周りに人がいる時はいいのですが、一人になって自らの心に戻った時に、
誰とも心が繋がっていないという寂しさを感じるのではないかと思います。

いずれにしても、不信感というのは
ありのままの自分を厚い防衛機制で覆ってしまいます。

しかしありのままの自分を閉じ込めたまま
他者と関わっていても、お互いの心に触れ合うことはできません。

ですから自分のことが好きになれないという人がいたら
できれば不信感を抱くことになった心の傷を癒や作業をすることで
まずは自分と自分との関係を良好にするということが
必要ではないかと思います。

その2 過度に承認欲求が強い

他者に自分のことを認めてほしい
あるいはわかってほしい
という気持ちが過度に強い心の状態とは

言い換えると
自分の価値を他者に委ね過ぎている
つまり依存的になっているということなんです。

それゆえ
たとえば相手が自分の期待通りの反応をしなかった
あるいは自分の意見と食い違った
というだけでも心理的距離を感じてしまったり
また常に賞賛されていないと不安になりがちです。

こういった人にとって本当に必要なことは
自分の存在価値は自分が認めるという心の状態になること
だと思いますが

それには
自分が感じていること
自分の考えや気持ち
また自分がやりたいと思うこと

これらを他者のフィルターを通してどう思われるか
というふうに考えて自分の行動を決めるのではなく

私は感じるままを感じていい
私の思いや意見が他者と違ってもいい
私は私のやりたいことを大切にしていい

といいうように置き換えることで
自己を確立化していくことが必要ではないかと思います。

またそれは自分の心との繋がりを強化していくということでもありますので
他者にわかってもらえない孤独の檻から
自分を解放していくことにも繋がることと思います。

その3 コミュニケーションに苦手意識がある

コミュニケーションが苦手と思っている人の多くは
どうすれば相手と上手く話せるかということについて
考え過ぎかもしれません。

こういった人の多くは
人前でも堂々と自分の意見を発表することができるとか
あるいは話題が豊富で、ジョークなどもうまく
多くの人を惹きつけるような話し方をすることができる

そんな人がコミュニケーションが上手な人である
というふうに思っていることがよくあります。

ゆえに自分もそんな人のように上手く話せるようになるべきである
ということを自分に課していたりします、

しかしそのような人は、単純には話し上手であるというだけで
たとえば親密な人とのコミュニケーションが上手くいっているかどうか
ということになると、それはまた別の問題だったりします。

そもそもコミュニケーションとは
お互いの気持ちや考えを理解し合うためのものですから
何も上手に話すことだけが必要なわけではありません。

聴くことも大切です。

もしかすると、時に話すこと以上に
相手の話をじっくり聴くということが
コミュニケーションの質をぐんと深めることになる
ということもよくあります。

また顔の表情や体の動きなどで、
自然な感情を表すことも、コミュニケーションを
生き生きとさせます。

しかしコミュニケーションする上で最も大切なことは
話す技術や聴く技術よりも方、
相手に対して誠実に関わろうとしているかどうかということだと思います。

ですからもしコミュニケーションに苦手意識があるため
人と関わることに躊躇してしまうという人がいたら

相手が話すことにちゃんと耳を傾けるようにする
相手から訊かれたことには、なるべく正直に答える
でも答えたくない時はもちろんNO COMMENTもOK
そして相手のNO COMMENTも理解し受け入れるようにする

これだけで十分誠実だと言えるのではないでしょうか?

できればいつも自分が話す役わりをするとか
あるいは聞き役をやるというように、自分の役割を固定してしまうのではなく
たとえばキャッチボールするときのように
話したら聴く 聴いたら話す というイメージで会話するようにすると
コミュニケーションを楽しめるようになるのではないかと思います。

さて今回は
意図せずとも自分で自分を孤独にしてしまう
ということになる心の状態について書きましたが
これは私がオーストラリアで暮らし始めた頃、
かなり孤独に苦しみましたが、その頃の心の状態を
あらためて思い出しながら書いたものです。

またこれら3つのことは、それぞれ違うようでありながら
実はどれも、人と繋がることにおいて、
自分に条件を課している
ということにおいて関連しあっています。

ということは
ありのままの自分を受け入れられているかということ、
つまり自己受容と孤独感には深い関係があるということです。

そういう意味では
海外で暮らし、かつて味わったことのない深い孤独感を
嫌というほど味わった辛い経験は

自分を受け入れるということが
いかに大切なことであるかを身をもって再確認したわけですから
むしろ私にとっては必然で最上の経験だったと今は思っています。

では次回は
たとえば不治の病に侵されて、一人で病気と戦っている孤独
あるいは愛する人や大切な人(ペットも含む)との別離や死別による孤独
また物理的に誰も知り合いのいない場所でたった一人で暮らす孤独

こういったことで孤独を感じるのは、人としてごく自然で当たり前のことだと思いますが
されど少しでも孤独を癒し、和らげることができる術を身につけることできたら
それは心に安心を与えてあげることになるのではないか
ということでまた違うアングルから孤独を眺めて、書いてみようと思います、

 

自然の美しさは、孤独な時ほど深く味わえるものですね。