心配するということの中に潜んでいる欲求

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こころの相談室 メンタルケア フォレスト では
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また当ルームでは、通常の心理カウンセリングとともに
自分で自分のこころを調える方法(マインドフルネス)
について学んでいただくことにより
誰の中にもある自然治癒力を最大限に引き出すよう
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心配とは、読んで字のごとく
誰かのことに対して、心を配ること。

ゆえに自分にとって身近で大切な人であればあるほど
心配し過ぎてしまうなんてことがよくあります。

しかしたとえそれが相手を思う気持ちであったとしても
あまりにそれが過剰だったりすると
「あなたは自分を信頼するのに十分ではない」
という不信感のメッセージになることもあります。

それゆえたとえば親がとても心配性だったというような場合、
いつしかそれが自分の一部として内在化してしまうため

何かをするときに
もし上手くできなかったらどうしようとか
失敗したらどうしようなどというように
いつも悪い結果を予測しては心配する

また自分が選択したことに対して
なんとなくそれは間違っているんじゃないかなどというように
はっきりとした理由もないのに、自分の選択を疑っては心配する

そうすると結果が予測できないことや
今までに経験のない新しいことはやらない方が安心、
また人と異なる選択はしないほうが安全という思いが強化されていくため
どうしても自分の世界を狭めてしまうことになってしまいます。

しかしどんなことにおいても経験だけが本当の学びです。

それゆえ結果はどうあれ、
身をもって知るという貴重な経験を積み重ねることが
すなわち自分の限界や能力、あるいは自分に向いているのかどうかということや
今まで自分が知らなかった自分の部分などを知ることができるため

必然的に、心配する必要があることかor心配しても意味のないこと
ということもわかりやすくなってきます。

たとえば海外旅行の前は、よほど旅慣れた人でなければ、
誰しもワクワクすると同時に心配もよぎるのことと思いますが

でもそれは私が思うに必要な心配で
他国を旅するということには、思いがけような危険があるもの
という経験上、やはり甘く考えるのはよくないと思うわけです。

ですから旅行先の国ついては、事前にある程度調べておいたり
旅の準備の再チェックなども、しないよりはしたほうが
安全に旅をすることができると思います。

しかしもし飛行機が落ちたらどうしようなどというような心配は
もちろん私とてゼロではありませんが(実際にかつて中国の中を移動する際、
いつ壊れてもおかしくないような飛行機に乗ったことがあります。)
しかしながらそれはいくら心配しても自分でコントロールできないことです。

ですから私の場合は
基本的に自分でコントロールできないことは、
心配しても意味がないので、あまり考えないようにしています。
でも正直いって、中国の国内線に乗った時は、生きた心地がしなかった・・・。

けれどその後もめげずに、何度も一人で飛行機に乗り込んでいるのですから
もしかすると、それは私のオツムがめでたいということも関係しているのかもしれません。

そう考えると
総じて心配性の人の方が、最悪を考える能力が冴えているゆえ
予測できないことに対して身構える傾向が強いのかもしれません。

また心配するということの中には
相手のことを思う気持ちだけではなく
実はその相手を支配したいという無意識の欲求
潜んでいることもあります。

わかりやすい例でいうと、
過保護の親というのは
子どもを愛すること=心配することのようにとらえていたりします。

ですから本来その子ができることまで、
心配(愛情)を理由に手を出し過ぎてしまうというような関わり方をしますが

しかしそれは自分の生きがいや自分というものの価値を、
子どもに委ね過ぎている、
つまり子どもに依存しているからなのです。

それゆえ愛しているつもりでありながら、
実は永遠に自分が子どもから必要とされたいという無意識の目的があるため
子どもが自立へ向かうことを阻んでしまうということになってしまうのです。

したがって、過剰に心配されることは
決してありがたいことではなく
むしろ本来自分の中にある、人生を切り開く能力が
あたかも備わっていないかのように思いこまされてしまう
ことでもあります。

すると植物でいうなら、
根腐れしてしまうというようなことになるやもしれません。

ですから一口に心配といっても
その奥にはいろいろな欲求が隠れているということを
知っている必要があるかと思います。

とはいうものの
人というのはやはり心配する生き物なのか
何かにつけてあれこれと心配するのが
私たち人間の習性かもしれません。

ですから、心配する気持ちと無縁に生きることはできないにしろ
時に自分の心配は、相手を思うからという気持ちからだけではなく
元々は自分の中にある不安を、目の前の相手に投影しているのではないか
ということを振り返ってみるといいと思います。

私なども、たまに家族のものに対して心配するあまり腹を立ててしまう
なんてことがありますが
そんな時に、ちょっと立ち止まって自分の心に目を向けてみると
やはり自分の中に不安があったということに気づきます。

このようなことから
私は自分の心配が強くなっているということに気づいたら
まずは深く息を吐きながら、不安を体の外へ流し出す
というイメージで深呼吸するようにしています。

実際、呼吸と感情は密接な関係にありますから
頭で心配を止めようとするよりも
呼吸を調えるようにしたほうが、心を鎮め、落ち着かせることができます。

またそうしているうちに
心配ゆえ考え過ぎて、妄想の中に入り込んでいた
ということにも気づけたりします。

すると
「ものごとはなるようにしかならない」
という、まことに現実的な言葉がストンと心に落ちてきて
「心配しても意味がない」という思いに至ることができます。

それはいわゆる開き直りということなのかもしれませんが
しかしどんなことがらにせよ
先のことはわからないというのが現実です。

ですからそれを受け入れることができれば
心配するよりも
まずは今できることに心を込めて臨むしかないという思いが
心の真ん中に戻ってきてくれます。

 

いずれにしても心配は
マグネットのように不安を引き寄せ
また無意識に自分の不安を相手に抱えさせてしまうことになる
という性質がありますので

やはり心配もほどほどにということを
心がけたいものですね。

裏山を散歩していると、毎年春の初めにこの花を見かけます。
もし江戸時代に生きていたら、
「かんざしにして髪飾りしたい」などと思うのですが
でも実は毎年、楽しみにしている花なのに、この木の名前さえ知りません。

そこでお願いがあるのですが
もしこの木の名前をご存知の方が見えましたらぜひ教えてください。(^^)