愛されることを頑張り過ぎてませんか?

平常通り、対面セッションを行っていますが
自粛要請が続く間は、できればオンラインセッションでのカウンセリンをお勧めいたします。

こころの相談室 メンタルケア フォレスト では
こころの悩みや問題を軽減し、
自らをよりよく変化させていくための
サポートをいたします。

また当ルームでは、通常の心理カウンセリングとともに
自分で自分のこころを調える方法(マインドフルネス)
について学んでいただくことにより
誰の中にもある自然治癒力を最大限に引き出すよう
援助しています。

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誰かに愛されるということは
すなわちそのまんまの自分で
何も問題ないということです。

したがって
無理して相手に尽くそうとしたり
あるいは
凄いと思われるようなことを頑張る必要などないのですが・・・

でも心が形成される幼少期に
なんらかの理由で何か頑張っていないと愛されないかもしれない
あるいは見捨てられかもしれない
などというような不安があると

たとえば優等生であることや
とても従順で聞き分けのいい子、
あるいは大人のようにしっかりした子

またいつも親の愚痴を聞いてあげるとか
親がどうして欲しいかを瞬時に読みとって、
そのように行動しようとするなどというような役割を頑張ることで

本来の子どもらしさ、
すなわち甘えを抑圧して親の愛を獲得しようとします。

こういった部分(甘えの抑圧)は、大なり小なり誰もが無意識下に
抱えているものと思いますが
しかしこの部分に気づいていないと
無意識に愛されることを頑張り過ぎてしまうことになるわけです。

またそれはそもそもに
自分の甘えを満たしてほしいという抑圧下にある欲求の
反動形成ですから

愛されることを頑張った分だけ
その相手に対して、自分をこのように扱って欲しいとか
このように接して欲しい
あるいはこのように反応して欲しい
などというように、要求がましくなってしまいます。

私なども
家族のものに対して恩着せがましいことを言いたくなるようなときは
大抵、自分が相手のために頑張り過ぎてしまった時です。

そんな時は
相手から感謝の言葉を期待していたり
あるいは、率先して私が休息を取れるように気配りしてくれることを
求めていたりするのですが

家族のものが自分の期待通りに反応しないと
だんだん腹が立ってきて文句を言いたくなってしまう・・・

皆さんもこのようなこと経験されたことありませんか?

しかしそんなときはご想像通り、
相手からは感謝するどころか
「文句言うぐらいなら、やってもらいたくない」
などというようなことを言われ、

とどのつまりは、頑張った挙句、求めていたのとは真逆の言葉しか返ってこない
というということになってしまうのです。

ですから
相手のために頑張るとか尽くすということの心の一枚下には、
実はそのように相手も頑張って私を愛するべきである
つまり甘えたいという欲求がその動機となっているということを
知っている必要があるかと思います。

 

このようなことから
もし自分のパートナーや子ども、あるいは恋人などに
不満がいっぱいある
ゆえに口を開けば文句ばかり言っている
などとというように欲求不満が溜まっている

あるいは相手からすると
私なんてどうでもいい存在なんだ
などというように自己無価値観を感じている人がいたら

本当は甘えたい
でもそれを自分自身が無意識に禁じているため
その欲求不満を相手のせいにしているのかもしれません。

でもそれに気づくだけでも
心はずいぶん楽になります。

なぜなら人はみんな甘えちゃいけないと思いながらも
本当は甘えたいという欲求をもっているからです。

それゆえ甘えの抑圧に気づくことは
甘えたいという気持ちをもつ自分が
自分の一部として統合されるということで

ゆえにそのまんまの自分でも愛される価値がある
という安心感を感じられるようになります。

しかしながら
大人でありながら、自分を甘えさせろとか甘えさせるべきである
という態度や言動は、とても幼児的ですので、
もちろん相手からすると、不快かつ迷惑、ゆえに負担となります。

したがって甘えを許すということは
大人の方法で甘えさせてもらう技術が必要です。

ちなみに私は長い間、かなり甘え下手のまま生きてきましたが
しかしやっとここ最近は、以前に比べると少し上達しつつある
ということを感じています。

では何が以前と違うのかというと、
頑張り過ぎてしまう手前に気づくようにする

そして気づいたら
「〇〇して疲れちゃったから、お風呂の用意してくれると
めっちゃ嬉しいんだけど、お願いね〜。」とか
「今日はもうヘトヘトだから、夕飯は自分たちで適当に済ませてね。」
などというように

具体的に自分はどう甘えさせてもらいたいのかを
ちゃっかり、そして明確に相手に伝えるようにしています。

でも頑張り過ぎるとこれがなかなかうまくできないんですね。

というのは
疲れ過ぎると、自分の意思でやったことなのに
あたかも相手のせいでやらされているなどというような思い方に
変わってしまうことがあるからです。

そうなると、やはり甘え方にも刺々しさが出てくるのでしょうか
そんな時は、相手も頼まれたことに対して嫌々応じるというような態度で
お互い気持ちよくありません。

ですからコツとしては頑張り過ぎる手前、これが重要で
それは言い換えると、体は疲れたけれど、心にはまだ余裕がある感じ
そのタイミングを見逃さなければ、甘えの欲求を上手くコントロールできます。

そうすれば
「疲れたなあ・・・。ではここらでちょっと甘えさせてもらおうか。」
というふうに、自然体の自分を素直に受け入れ、
かつ大人の方法で相手に伝えることができると思います。

またそれは同時に、相手に期待しないという心の態度でもありますから
相手の応えがYESであればラッキー! NOであれば仕方ないにゃあ
というように、どちらも受け入れやすくなります。

そして念のため
経験上、一番最悪なのは、
言わなくても気づいて当たり前だろ!攻撃。

でもこれはかなり幼児的な甘えといえます。

なぜならその関係性がたとえ親子や夫婦、また恋人同士であったとしても
基本的には、いくら近い相手といえども自分以外の他人であるという認識、
それが大人、つまり精神的に成熟しているということです。

しかしこちらが言わなくても気づいて当たり前だろというのは
未成熟ゆえ傲慢な幼児の態度と同じで
自分の不快な感情をママになだめてもらおうとするようなことです。

したがってこれを発動していると、
大抵、相手からは、自分が一番欲しくない言葉や態度を引き出しかねない
ということを、心の片隅に置いておかれるといいかもです。

 

ボクはな〜んも努力してないけど
そのまんまで勝手に愛されてます。
愛されるとは、頑張らなくてもいいということ
だからそのまんまの自分に安心してね。 / lucky