止まる時間をもつようにすると今あるものが見えてくる。 

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みなさん、こんにちは。
いつも私のブログを読んでくださって
ありがとうございます。

今日は朝から雪が降っていました。

いつも私は起きてからすぐに犬と裏山を散歩するのが日課ですが
今日は、この冬初めての雪景色が見られるかと思うと
まるで子どものようにウキウキしながら身支度を整えて
外に出ました。

落ち葉の上に降り積もりつつある雪を
スノーブーツでサクサクと踏みしめながら歩いていると
信じられないほど自然界は静かで、心が洗われるかのように
空気も澄んでいるということに気づかされます。

それと同時に、さっきまでウキウキしていた気分も徐々に静まり
白い世界の静寂が心の中にゆっくりと浸透していくようでした。

雪の日は、日頃、意味なく忙しくしている心を鎮めてくれるのでしょうか
雪が降るさまを眺めていると、なんだかとても心が安らぎます。

さてそんなとき、いつも私が思うことは
足りないものを頑張って手に入れることが
決して自分の人生を幸せにするわけではないということです。

にもかかわらず
あれが足りない
これがまだ不十分
ゆえにもっと勉強しなくては
そしてもっと働かなくては幸せになれない
と思ったりするのは、単にそのように教育されてきた
というか調教されてしまったからなのかもしれません。

しかし本当は
「足るを知る」ということを学ばずして
幸せを感じる能力は養われないと思います。

でも残念ながら、学校ではこのようなことは教えてもらえず
むしろ足りてない部分をひたすら努力するように
教えられてきたような気がします。

それゆえ自分にあるものに気づかないまま
足りないものばかりに目を向けて
今ある幸せに気づけないという人がたくさんいるように
思います。

私は29歳の時にがんセンターで卵巣摘出の手術を受けた
ことがありますが、
幸いにもそれはがんではなく卵巣嚢腫だったため
今日まで生き延びていますが

でも術前は、がんであるかどうかは
開腹してみないとわからないと医師から言われました。

それゆえ、がんではないとわかるまでの日々は
不安と恐怖でいっぱいの中、
「どうぞがんではありませんように。
まだ息子は小さいので、なんとか命だけは助けてください。
それ以外は何もいりません。
ですからどうぞ、どうぞ助けてください。」
とひたすら祈り続けた思い出があります。

しかしですね・・・
月日が経ち、健康を取り戻すと
その頃のことをすっかり忘れてしまい
あれが足りない、これが足りないと不平不満を言ったり
あるいは人よりも足りてないことに焦りや不安を覚えて
逆にその時々の自分にある幸せが見えなくなっていた
ということがよくありました。

このように人というのは
何かを失う、あるいは失うかもしれないという体験をしないと
今あるものに気づけなかったりするものです。

またせっかく気づいたとしても
私のように、またそれを忘れてしまうということもありますので
やはり毎日を過ごす中で、必ず「止まる」時間というものを
もつようにすることは、とても大切だと思っています。

またこの「止まる」とは
思考から距離をとるということですが
具体的には、
呼吸に意識を向けて集中する、つまり瞑想することです。

私の場合はマインドフルネス瞑想をやることを習慣にしていますが
それによって
今という瞬間を生きている体に心を戻すことができます。

いわゆるそれが目覚めている状態といえますが
この時は自分の思考に気づくことができますので
自分が足りないことばかりに目を向けているために
今心配しても仕方のないことを心配していることにも気づけたりします。

しかし先ほど申し上げたように、
普段私たちが日常生活を送っているときは
自動思考の奴隷状態になっていることがほとんです。

それゆえ
たとえばどうすればこの経済不況を乗り越えることができるかとか
またどうすればコロナに感染しないですむかなどというように
まだ起きてもいないことをあれこれ考えては頭の中を忙しくしていますが

「止まる」という時間を持つようにすると
いくらそれらについて考えてもさして意味などない
とうことが、だんだん心のレベルでわかってきます。

なぜなら
将来どうなるかなどというようなことは
いくら考えても確かな答えなどないからです。

にもかかわらず先の答えを知ろうとするなら
逆にそれは見えないゆえ、自ら心配や不安を作ることになります。

ならば今あるものに感謝して
今できることに集中して取り組む方が
少なくとも不必要に不安を作るということをしなくなるため
それだけでもかなりストレスを軽減することができるはずです。

しかしそうはいうものの
「備えあれば憂なし」という言葉があるように

将来少しでも困らないようにするためには
いろいろと備蓄する必要があると考える人もいるでしょう。

確かにそれも一理あると思います。

ではいったい何をどれぐらい準備すれば
安心できるということになるのでしょうか?

もし政治家の麻生さんが言われたように
老後、生活に困らないためには3千万円ぐらいお金が必要
というのであれば、鼻っから私など安心とはかなり程遠いところに
いるゆえ、そもそもに安心を求めることができる分際ではない
ということになります。

また仮に、もし私がそんな大金を持っていたなら
いつ死ぬかもわからないのに
世界にはまだまだいきたいところがいっぱいあるので
地球をぐるぐるしながら遣い果たしてしまいそうです。

いずれにしても
私には貯金などほとんどないというのが現状ですが
にもかかわらず、働く意欲と健康があるうちは
なんとかなるだろうと思っています。

この能天気さには、我ながら呆れますが
しかし不思議なことに、ある程度、まとまったお金を持っている人
の方が将来のことを真剣に心配をしていたりするのをよく聞きます。

それはやはりどれぐらい持っていれば絶対に安心といえるのか
わからないというのと

あるいはもしかして
今の自分には、何かが足りないという漠然とした不安があるため
今を十分に楽しめないという不満足感がある

ゆえにそれを埋めたくて
目に見える何かをもっていないと安心できない、
つまり満足できないということなのかもしれないし

また基本的に他者への不信感があるため
目には見えないけれど実は幸せに生きる上でとても大切な
人との繋がりが希薄なのかもしれません。

それゆえあえて何か備えるとしたら
やはりまずは自分の体と心の健康、

これさえあれば、仮に会社が倒産しようが
またコロナに感染しようが
サバイバルできる可能性は十分にあるわけで

ということは、
もし現在、自分の体に何も異常がなければ
もうすでにそれだけで、十分過ぎるほど足りているのです。

しかし困難な状況を乗り越えるときは
どんな強い人であったとしても
やはり人の助けや支えを必要とするものです。

ですから日頃から思いやりを動機とした行動を心がけること
によって思いやり貯金を備えるようにするならば
人との繋がりが揺るぎないものとして強化されます。

またそれによって
「有難い」という最も幸せなエネルギーが
自然に引き寄せられてくるようになると思います。

ちなみに
ガンジーは「明日という日は来ないかもしれないと思って今日を生きろ」
という言葉を残していますが

私たちが足りないものを気にして
焦りや不安を感じているときは

今を一生懸命生きようとしている体から
心がどこか遠くに離れ彷徨っているのだ
ということを、思い出して
まずは今日という日を大切に生きるように
ということではないかと思います。

そしてそのためにも、
できれば最低、一日一回は「止まる」ようにすること

すなわち瞑想することで

何かをするために考えたり行動するというdoingモードから
今という瞬間、あるがままの自分を体全体で感じるbeingモード
にして、心を静かにするならば、

何気ない日常生活の中にあるいくつものステキな幸せを
見つけ出すことができるようになると思います。

 

雨の日は雨が降るのを楽しみ
雪の日は雪が降るのを楽しもうとするなら
どんな日にも喜びを感じることができるよ

肝心なことは
どんな日であっても
君が幸せであろうとすること

そうすれば今の自分に足りないものなどないってことが
だんだんわかってくるよ

だから Be happy  ねっ!

哲学犬 Lucky