治してほしい と 治したい

平常通り、対面セッションを行っていますが
自粛要請が続く間は、できればオンラインセッションでのカウンセリンをお勧めいたします。

こころの相談室 メンタルケア フォレスト では
こころの悩みや問題を軽減し、
自らをよりよく変化させていくための
サポートをいたします。

また当ルームでは、通常の心理カウンセリングとともに
自分で自分のこころを調える方法(マインドフルネス)
について学んでいただくことにより
誰の中にもある自然治癒力を最大限に引き出すよう
援助しています。

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みなさん、こんにちは。
いつも私のブログを読んでくださってありがとうございます。

そして何かのご縁でこのブログに辿り着いた人がみえましたら
それもご縁です。 よろしかったらこのブログを通して
ご自分の心と触れ合うひとときをお過ごしください。(^^)

 

さてつい最近、ある105歳の女性がコロナに感染し、
その後、危篤状態に陥ったものの
結果的には、コロナをやっつけ、無事退院されたという
ニュースがありました。

この人は、かなりの高齢ということもあり
いくつもの持病を抱えてみえたそうです。
それゆえ一時的には危篤状態になられたそうです。

しかし無事生還することができたのは

医師や看護師たちの話によると
その人は「なんとしても治りたい」という言葉を何度もおっしゃられ
その気持ちが回復に向かう大きな力になったのではないか
ということです。

また実際に、その人は医療者側から言われた、
回復していくために必要なことのいろいろを、
どれだけ辛くて大変な状態にあっても
それを信じて一生懸命に取り組まれたそうです。

105歳という年齢を考慮すると
その精神力はとても素晴らしいと思うと同時に
あらためて、人を生かす力の源は、やはり心にある
ということを思いました。

それはこの仕事をしていてもよく思うことですが
誰かに助けを求めること、それは確かに生きる力の一つだと思います。

しかしその思いだけでは
本当の意味での治るということには至りません。

それゆえカウンセリングにおいては
クライアントさんが、自分だけでは抱えきれない感情を
とりわけ丁寧に聴かせていただくということをしますが

しかしそれは
クライアントさんが自分の抱えている問題を見つめ直し
ものごとの関係性を新しい枠組みでとらえることができるような
心の余裕を取り戻していただくためです。

それによって
クライアントさん自身が自分に対して行なっていること
また自分の取り扱い方などを客観的にとらえることができるように
なっていくからです。

すると具体的に自分の何(認知/ものごとのとらえかた・生活習慣・環境
感情の取り扱い方・人間関係・働き方 etc・・・)が
自分自身に無理をさせたり、苦しめているのか
ということに気づいていくことができます。

またこのように気づきを得ることができると
外側に答えを求めていた心の状態から
自分自身にそれを求めていくという方へと心のベクトルが変化していきます。

いわゆるそれが回復、あるいは成長に向かう兆しといえますが
するとカウンセリングを受診される動機も
「治してほしい」というものから「治したい」
ゆえにカウンセリングを受けるというふうに変わっていきます。

すると自然に
自分の回復を妨げることになるようなことをやめたり
逆に回復していく上で必要なよい習慣を積極的に取り入れる
などというように、実際に行動を変えていくということが起きてきます。

このように治るということは
治るために必要なことを選択し、それによって行動が変わる
ということを自らの意思で積み重ねていくことです。

そういう意味では
どんな名医であったとしても、その本人に「治したい」
という気持ちがなければ、治せない。

でもそれは言い換えると
自分が本気で治したいと思って取り組むなら
105歳の女性のように、自然治癒力を最大限に働かせ
奇跡を起こすようなことも実際にあり得るということです。

そう思うと
「治してほしい」 と 「治したい」

どちらも大切ではあるけれど
でも事実としては、自分を治すのは自分しかいないということ。

これを忘れないようにしたいものです。

なかなかよくならない
なんかうまくいかないというときは

それに対して自分は主体的かつ能動的であるか
あるいは依存的かつ受動的であるか
ということを振り返ってみるといいかもよ。(^^)